保守主義と自由主義

保守主義と自由主義

自由主義のパラドックス

矛盾した原理でもある

パラドックスという言葉を聞いたことがあるだろうか、直訳すると『矛盾』や『ジレンマ』など文脈によって意味は異なるところだが、そんなパラドックスとしての原理が自由主義についても当てはめて考えることが出来る事をご存知だろうか。自由というものがどれくらい不自由なものか、ということは先にも書いたとおり何となく理解してもらえるだろう。そもそも本当の意味での自由など存在しないのではと思ってしまう人もいるかもしれないが、逆に本当の自由と定義される根拠と概要を是非とも提言してもらいたいと個人的に思ってしまうところだ。

自由というものに固執した考えを持ってしまうと、どうしてもそこから生じる社会的矛盾に戸惑ってしまうこともあるだろう。それは中世だけというのではなく、現代気においてもこうした矛盾はそこかしこに存在しているものだ。ここでは主に政治思想における自由主義について述べているが、そんな自由主義にも矛盾は存在している。そうした理論の事を『自由主義のパラドックス』という風に呼ぶことが出来る。この概論が指すものとしてどういうことなのかは順を追って説明して行くことにして、この理論を考えたのは誰かについての話を先にしていこう。

この自由主義のパラドックスという考え方を提示したのは、インドの経済学者の『アマルティア・セン』という人物だ。かなり聡明かつ著名な人として業界においてその名を知らない人はいないとまで言われているこの人が考え出した、自由主義のパラドックスとは一体どのようなものなのか、具体的な例を挙げて話をしていこう。

意図を理解するのは難しいにしても

自由主義へのパラドックスというものがどんな意味を持っているのかについてだが、簡単に説明できるほど簡単な内容でもない。というよりも素人目線では分かるかどうかさえあやふやな部分でもあるため細かいところを話しているとおそらく3日ほどは費やして話をしなければ解決策を見出すことが出来ないのではと、そう思っている。先ずは単純にパラドックスというものについてだが、矛盾やジレンマという意訳を行うことが出来るところを見ると、ある一定のテーマに対していくつか提示する前提の中には間違った物が存在しているものだ。そうした正しいものと間違っている物が混同している中で、そうした前提を全てひっくるめて考えた結果、出された結論がどんなに受け入れがたいことであったとしても、それは実のところ正しいものだとするという、何とも納得のいかないような結論を導いてしまうというわけだ。

簡単に説明したつもりだが、これでも難しいと思う人もいるだろう。それだけ自由主義というテーマを元にしたパラドックスについて考察をするとなったら、容易にその真意を把握することはできないだろう。

具体例を提示してみると

では少し分かりやすくするために具体例を提示して話をしていこう。登場人物は2人、とある女性と男性が存在しているとする。そしてその男性がとある啓蒙書籍を所持していたとして、その作品の良さを是非ともその場にいる女性にも理解してもらいたいとする。男性に熱弁されるが実はそういう本が非常に苦手な女性は、読むことに対して積極的ではない。出来るなら見たくもないところだが、あまりの勢いに押され気味なためにとりあえず受け取っておくだけにしておくのもいいかもしれないとする。この時の男性の心理としては捨てる事はないだろうという前提でいることを想定して話を進めていくと、ここからが本番だ。

さて、この時この啓蒙書籍を誰が持つのが相応しいのか、それとも廃棄してしまったほうが解決するのかと考えたとき、どんな答えが相応しいとなるのか。この時想定される展開としては以下の三通りとなる。

  • 1.啓蒙書籍は男性本人が持つべき
  • 2.勧められた女性は啓蒙書籍を持つ
  • 3.ここは間をとって廃棄する

とした三つの結末を迎えることになるが、この展開についてそれぞれの意識下において優先度となる順位は次のように表現することが出来る。

  男性 女性
1位 2.の例 3.の例
2位 1.の例 2.の例
3位 3.の例 1.の例

このようにそれぞれの思惑として優先すべき順位が決定付けられることになる。では真にどの行動が自由主義という観点から選択されるべき点なのかについて考えてみると、答えを導き出す事は非常に難しいという事が理解できるだろう。

男性にしてはまず捨てるという考え方そのものがあるかどうか微妙だ、最悪自分でまた持てばいいだけもあり、また自由に選択することができるという主義を尊重すると3.の例が選択されることはまずありえないからだ。では一方で女性については廃棄したいという考えと、出来ないなら持つだけ持っておこうとするといったように見方をすることが出来るが、持ちたくないものを持たせるという強制は自由主義において当てはめることはできないため、必然女性にとっての選択肢は廃棄か返す、どちらかになる。

では逆に満場一致性を用いてみると、男性が持つということは2人が総意に望んでいることではないため、自由主義という観点で考えることになったら男性の手に戻るという選択肢は選ばれるべきではないことになってしまうのだ。

難しくなってしまったが、結局何が言いたいのかというとどの選択肢も選択できそうで『選択することが出来ない』ということだ。こうしたなんでもない出来事について三つの展開を想定して考えてみると、どれも容易に選択することが出来ないということ、自由とは非常に不自由であることを暗に証明したのが『自由主義のパラドックス』という原理になる。

この原理は非常に興味深いものと思う、この理論を元にして考えてみると日常の出来事においてもパラドックスが当然として発生していることになる。それでも何かと折り合いをつけることが人間に出来るため、問題を大きくすることもない。自由主義のパラドックスが示す意味として、本来なら答えを導く事が出来ない問題を自由主義に当てはめて考えてしまうと結論を導くことが出来なくなってしまうのだ。自由主義とはいかに難しい原理なのか、簡単に言葉で述べることはできないものであるということを、この法則では示しているのだろう。自由とはまこと不便なものなり。