保守主義と自由主義

保守主義と自由主義

宗教的観点から見る保守主義

日本ではあまり馴染みのないこと

日本において政治に宗教色を混ぜての政策は禁じられている、ということを社会人として働いている人は誰もが聞いたことがある言葉、学生の中でも小学生以上の世代では授業の一環として勉強をしているだろう。政治とは公平に行わなくてはならないものである、そこへ宗教という信仰心を盛り込む事は民意を欠く事になるため排さなければならないと、そう考えられている。こうした考えの事を『政教分離の原則』などと言われているが、簡単に言えば政治に宗教を入り混じって議論を始めたらキリがないということだ。

ものすごい大雑把な考え方だとする、政教分離という考えがもしも世界に存在していなければ国としての機能はまともに稼動することはないだろう。それこそ誰もが自分が思い描くような世界を構築するためにと、好き勝手に改革案を持ち出してしまうといった混沌とした状況になってしまう。宗教と政治は古くから強い繋がりを持っている事は事実、しかしその歴史においてまともな政権を形成する事が出来たという事実を残した事はほとんど無い。

イギリスなどの特殊な例外も存在してはいるものの、それはそれでまた別の話と考えていいだろう。まず日本ではそんな話はまともに通じるような議会になることはない、何しろ日本は大半が無宗教と言う状況で、時と場合によって宗教を使い分けるという恐ろしい国民性持っているからだ。信奉している宗教は何かと聞かれたら、大半の日本人が質問が十人十色といった面白い回答を述べることになるのではと、筆者は考えてる。

政治に宗教を挟むなんて野暮な事はするモノではないと考えるのは日本を含めた世界にもそれなりに存在しているが、イギリスなどの密接な繋がりを持っている国において政教分離とする考え方はほとんど通じないだろう。イギリスと日本を比較対照するようなはかりではないため天秤では比べられないものの、現代のとある国によっては政治と宗教のいまだ深い関係性に置かれている。それは教会という存在が中心となっているが、教会以外で国として政治思想に宗教色を織り交ぜている国はある。その中でも、アメリカという国では保守主義と宗教に繋がりを見出している。

アメリカの宗教的保守主義

ではアメリカにおける宗教的保守主義とはどのような事を意味しているのかについてだが、この場合においてはその実態としてキリスト教徒としてまず手放すことはない聖書の内容を絶対遵守し、そしてそこに記載されている事実こそ世界の心理とする考え方を持っているということだ。表面的な触りをまず提示してみたが、こうした考え方を政治面に持ち出すことになったら面倒なことになるのは目に見えているだろう。それも果てしなく議論に終わりが見えることも無ければ、どのような結末を迎えることになるのかさえ検討が付かない。そしてこうした宗教的保守主義派は『人々はキリストの十字架による身代わりの贖罪によって救われることとなる』、そう強調していることから『福音派』と呼ばれている。

ただ宗教的保守主義としての立場をとっている人々にとって『自由主義神学』という宗教の理念は非常に受け入れがたいとする考え方がある。それはどういうことなのかというと、この理念の特徴を見てみると、よく理解できる。

  • 1:道はちがえどもすべての宗教は人々を救いに至らしめるものである
  • 2:思想的哲学的潮流に影響されやすい
  • 3:神学的に聖書を尊重しない傾向がある

といったものだ。聖書に記載されている内容をまごう事無き真実であると肯定していることもあり、福音派としてはこの理念に賛同することはできないとする人々も多数存在している。同じキリスト教とはいっても、思想そのものが根本的の異なっていると考えは対立するものだ。そうした影響もあって彼らと対立していると見なされているプロテスタント派は、聖書の内容を歪曲した見方をしていると批判しているところもある。

ただ一概に聖書の内容を信じているからといって、戦争を推奨している人ばかりではないとも言われている。宗教的に保守を理念としている人の中には戦争に対して反対姿勢を示している人も多く、その反対派の考え方としては聖書が伝えようとしている内容が人同士の和解という平和主義をキリストの十字架は訴えているんだとするんだとも考えているという。

こうした事を見ると単純に同一の思想を共にしているからといって、すべてが画一化された考え方で統一されているわけではない事が理解出来る。そして宗教に政治職を持たせてしまうと人によって見方がばらついてしまうといった問題も生じるため、政教分離を行うべきだとする考えが広まった理由も分かる気がする。

教会として

では実際にキリスト教の本拠地ともいえる教会において保守主義はこうした思想によって満たされているのか、という点について考察してみたいところだが、案外先ほど記述したような思いを持っているわけではないようだ。確かにカトリック教会において保守派といってもプロテスタントという別体制の保守派とは相容れない関係にある事を含めると、彼らにとって簡単な話ではない。

ところがギリシャや東ヨーロッパなどを始めとした『東方教会』においては、そもそも宗教改革や自由主義神学という歴史を有していないこともあって、そもそも保守と革新という言葉の意味は西方教会側とは大きく異なっているのも特徴だ。これは国の意向も強く関係していると見て良いだろう、イギリスなどの国では政治と宗教が繋がりを持つ事が当然のように見なされるようになった一方で、東方教会を主とする国々ではそもそも神職が政治に関与しているという事実こそが薄く、宗教面でこそ関与しているという事実しか出てこないというのだ。

政教分離というものを敢行しなければならなくなった国がある一方で、そもそも教会が政治的な面で深く関与するという考え方そのものが存在していなかった国もあったというのは、面白い話かもしれない。