保守主義と自由主義

保守主義と自由主義

日本では保守主義をどう見ているか

日本人視点の保守主義とは

イギリス、アメリカという二つの国における保守主義について考察をしてきたが、これに対して日本における保守主義とはどのように語られているのかについて考察をしていこう。昨今の日本ではこうした保守という概念に対して再認識する、といった動きが強くなってきている。こうした動きの発端となる理由としては、諸外国との関係性が均衡を崩しかねないほど悪化しているという確かな事実に基づいて行われているということだ。現在騒がれている安倍晋三の憲法改正について議論が立ち込めてはいるものの、現在の世界情勢を考えた際には日本としても万が一という場合に備えていなければならないのも、また事実だ。戦争が起こらなければそれでいいのだろうが、そうだと断言できるような保証などどこにもない。しかし戦いを好んで参戦したいと考えている国民もいないはずだ、そうすると安倍政権の政策が間違っていると肯定することが出来ると、安直に答えを導き出せるのだろうか。戦争をすることで日本がどれ程の被害を被ることになるのか検討も付かない、しかし自らが死地に赴くことを望んでいるような死にたがりの人がいるわけはない、人々の意識を改革するためにも徴兵制が復活しかねないとも言われている中で、日本がどのように動いていくことになるのかを見守り、十分に精査する必要はある。

色々と考えなくてはならない事はあるが、ここでは現在の政治思想に対して批判などをするといった事はしないで、単純に日本における保守主義の歴史、そしてそれに伴って昨今回帰復古しているとも言われている保守というものについて、改めて見て行こう。

新たな日本へと

日本の保守主義の原点には自由経済の保全というものが名目として立てられていた。その時代としては大体戦後直前にまで遡ればある程度状況を確認することも出来るだろう、当時の日本が敗戦国だったこともあり、一刻も早く一主権国家としての威厳と存在を取り戻そうと必死になっていた時でもあった。ただ日本という国がおかれた状況は単純に史実という視点から語ることが出来るほど単純な問題でもない。というのも近隣諸国が保守主義を第一に考えている国家が密集していたからだ。現在でもその態勢を貫いている国もあるが、当時においてはソ連や中国といった大陸に位置している国々がこぞって社会主義をモットーとした国家体制を基盤としている中で、日本が戦争に敗北したことによってGHQという国連軍に支配されていたことも影響して、アメリカを初めとした資本主義の立場を重視した西側諸国に属しているという、あまりよろしくない状況でもあった。

現代でもあまり良好とは言えないものの、当時の事を考えたらそれはそれで仕方がなかったといえる部分もある。何より、戦後によって負けたという確かな事実を突きつけられた日本にとって勝利者であるアメリカなどの国々に反抗するほどの余力は残されてはいなかったからだ。こうした中でかつて存在していた大日本帝国という国は解体され、日本という日の国として再建国したと表現してもいいだろう。何より自国の復旧を先んじて行わなければならなかった、そのやらなければならない事実を胸にして当時の政治家達は活動していたのだろう。結果として『東洋の奇跡』などと呼ばれるような経済発展を遂げることに成功したのだから、大したものだ。

こうして改めて分析してみると、確かに日本の経済発展を促した当時の政策として環境破壊などを招いて公害を生み出してしまったなどの功罪が生まれてしまったが、それでも僅か30年足らずで先進国として認定されるほどに発展したという事を考えると、ある意味でこの頃は日本としても政治機能云々はともかくとして一致団結していた事は間違いといえるはず。どの時代にも罪の傷跡を残してしまうことはある、それでも確かな前進を踏み出していた昭和の日本を思えば、現代の日本というものが停滞している気味と感じても仕方のないことだろう。逆にこうした状況を保守として見るか、それとも革新的な活動だったのか、決めるのは今の時代を生きている我々だということを忘れてはいけない。

社会主義との対立

日本の保守主義の話をするとその歴史上において、必ず社会主義との対立が構図として描かれることになる。ここでもまた戦後にまで話が遡ることになるが、この頃はまだ社会党や共産党といった一派が非常に活発に活動していた時期でもあり、そして保守党もそこかしこに乱立するというどちらが政権を獲得するかと争いを続けていた時代でもあった。そんな折、1955年に社会党の右派と左派が合併して与党第一党となったことで危機感を覚えた財界からの要請もあって、日本民主党と自由党の2つの政党が合併したことによって『自由民主党』が完成し、与党第一派として君臨することになった。その後社会党と自由民主党との二大政党理論が理想とする考え方に基づいていたとするが、その後の時代において社会党は徐々に力と求心力を失っていき、現在までに社会民主党として、そして小さな政党にまで衰退するまでに落ちぶれたのだった。

この事実だけ見れば保守派の意見が買ったようにも見えるが、その頃から保守主義というものがいまだに日本で普及していたかどうか、という点については疑問を持ってしまいかねない部分でもある。確かに社会党との争い、そして60年代から発生する政治に対する抗議運動なども活発に行われていた時期もあった。しかしその後急速に没落して行くこととなり、そして平成という新しい時代を迎えるようになったことで保守主義そのものに対する定義を改める必要があるのでは、そう考える人が出てくるほどだった。

こうした中で突如として保守主義というものを評価するといった見方も出てきているところを見ると、政治思想とは一重にその時代を築き上げることが無くてもいつでも再燃するだけの余力を残している場合もあるということを自覚しておく。