保守主義と自由主義

保守主義と自由主義

イギリスにおける保守主義とは

政治的保守主義、近代保守主義とも呼ばれていた

ではこうした保守主義は世界各国ではどのように見られていたのかについてここから分析しながら考えて見よう。まず始めに代表的な保守主義として語られるものとして、イギリスを例にして見てみる。かつてのイギリスにおいての保守主義とは、現在でも刊行されているコモン・ローという法思想を中心に展開されていたモノで、17世紀においてイングランドの法律家としても活躍していた『エドワード・コーク』が中世ゲルマン法を継承したコモン・ローの体系を理論化したものとして扱われるようになる。

その後保守主義の父と謳われるようになる『エドマンド・パーク』によって保守主義というものが大成することになった。エドマンドは伝統として存在していたコモン・ローを踏まえて考え出したものとなっており、その時に執筆した『フランス革命についての省察』において、フランス革命時における恐怖政治への批判を書きとめたものとしても有名だ。この著者をきっかけにエドマンドという学者の名はイギリス中に広がるようになり、その後革命の脅威を説いたことで1790年5月6日が近代保守主義誕生の日と定義されるようにもなった。

こうした活動によってもたらしたエドマンドの功績とは何なのかという話になるのだが、端的に言うと古代から続く教会の力を最優先にして考えるべきだとすることを説いた事がその目的だったと見て良いだろう。事実、彼が定義した保守主義とにおいて、史実において継承され続けてきた社会の一般的な考え方に対しての意見や信念というものを、国教会とするべきだとし、教会の意志こそイギリスという国家を突き動かす存在であるとする考え方を定義したのだった。これにより、以前にも増してその力を圧倒的なまでに普及させることを後押しすることになる。

但し国家というものについてもまだ明言しており『一時的な便宜の観念に従って取り上げたり、拠り出したり出来るモノではない』と定義するなどして、国家とはつまり憲法の礎であって教会と共に不可分の存在とするべきだとしたのです。何故このように考えたのかというと、それはかつて『ジャン=ジャック・ルソー』が唱えた思想に対する反攻から来たものだった。どうしてそのようなことをしたのかというと、エドマンド自身が社会契約説、またフランス革命のように人為に対して信頼を寄せることはできない、そうしたことから人為を元にした正当化理論を採用する事はできないと、そう考えるようになったという。

だからこそエドマンドという学者は教会という存在がいかにどれだけ正しい存在なのか、ということを伝えたかったのかもしれない。そしてそれら人間を統べるものとして、コモン・ローというものがイギリスにおける保守主義の原点として見る事も出来る。

コモン・ローとは

日本と違ってアメリカやイギリスには明確な法律がないということをご存知だろうか。法律がないというのはどういうことなのかというと、日本のようにきっちりと何かの犯罪に対して定義してそれらに対する罪をしっかりと明文化しているのに対して、アメリカやイギリスを始めとした国では事件に似ている事例から分析することによって罪を問う判例法がその全てにおいて優先事項として扱われている。そのため、アメリカやイギリスなどの弁護士はまずとある事件を解決する際にこれまで起きた事件とよく似ている案件から分析することから始まるという、日本の法律とはアプローチの違いが顕著に出ていることがよく分かるだろう。ここでどちらの国の弁護士の仕事内容、という説明は割愛させてもらうとして、こうしたアメリカやイギリスなどの国における弁護士の活動は全て、古代から継承されている『コモン・ロー』というモノで画一化されている。

このコモン・ローとは一般的な意味での性質については次のようなものとなっている。

コモン・ローの性質

1:法の支配
王国の一般的慣習によって作られた公法を元にした法律となっており、こうした慣習からその後における『国王といえども法の下にある』とする考え方が生まれた。
2:司法権の独立
コモン・ローにおいて裁判官は弁護士の指導者から選択し、そうすることで正義が最も達成しやすいとするだろうと考えられていた。この考えが生まれたとき、行政から司法権が分離した始まりとも言われている。
3:陪審制
コモン・ローを基盤とする法整備が整えられている国において、一般市民から選出された陪臣が裁判の判決を下さない限り、重罪における有罪の判決を与えられることはない。
4:判例法主義
現在のイギリスでも用いられている法主義で、同一事実における裁判においては先例と同一に裁判するのが判例法となっている。
5:ローマ法からの疎隔
イギリスがまだブリテンと呼ばれていた頃、ローマからの侵略を受けることになったが法に対しての侵食は行われなかった。その理由として諸侯らが国王に反抗して成果を収めたことで、固有の法習慣たるコモン・ローの擁護が政治的に有利だったからこそ、現在まで推し進められるようになる。

トーリー党から保守党へ

そんなイギリスにおいて保守主義を前提に活動している政党の事を『保守党』と呼んでいるが、かつては『トーリー党』と呼ばれており、現在でも新聞などの見出しではトーリーと呼ばれるなど、日本で平然と使用されている保守党という言葉はあまり使用していない。

このトーリー党の始まりは1600年に起きた王政復古時代において誕生した『トーリー主義』によって、その思想を共にする人々から構成されるようになっていた。構成員としても歴史的に著名な人物がその名を連ねており、代表的な人物として『サミュエル・ジョンソン』などが存在している。保守主義の父として語られているエドマンドについてはトーリー党に所属していなかったとも言われているなど、真偽は定かではないが彼自身どこかの政党に傾倒した考え方を持っていたわけではないようだ。

トーリー党はその後勢力を伸ばしていくことになるが、歴史の変遷と共に組織変革を求められるようになるなどした中で、1840年代に改めて保守党とすることで、現在までの活動を続けている。